備忘録

少しでも忘れないための記録です。

心療内科にかかった話

 最近、ジャニーズのデビュー組のメンバーが立て続けにパニック障害の治療に伴う休業を発表した。2人ともJUMPと接点があった子たちだったので、どうか理解ある環境の中でゆっくり休養し、再びステージでキラキラと輝く日が一日でも早く来てほしいと願っている。と同時に、数年前の自分の経験を思い出したので、これを機に久しぶりにブログを書いてみようと思いほぼ1年ぶりにログインした。

 久しぶりの更新がこれでいいのかと言われればまあそうなのだけれども、あくまで備忘録なので自分が書きたいことを書こうと思う。先に言っておくと結果的にわたしの症状には具体的な診断名はつかず、薬物療法も受けていない。パニック障害精神疾患に分類されるわけでもないので先述した2人の状況とはまた違ってくるかと思うけれども、心療内科にかかるときにはこういうパターンもあるよという一例と思っていただければありがたいです。そしてこの出来事が後に今でもJUMPを応援している理由のひとつになったので、そういう意味でも書き残しておこうかなと思います。

 

 

 

 最初に「あれ、おかしいな。」と感じたのは2013年の夏の終わり頃。当時親戚間にちょっとした事情があったことに加えサークル内での周囲の人間関係の悪化、バイト先での揉めごとに巻き込まれないようにととにかく気を張って過ごしていた。実習が控えていたためその準備もあり、忙しない毎日だった。どこかで自分の行動に綻びが出たり足元をすくわれたりすることがないように常に緊張していた。

 わかりやすく症状が出たのはとある授業でグループごとにプレゼンをするという場面。大学の大講義室で数百人を前に、自分に割り当てられた部分の原稿を話し始めたとき、なぜか恐怖を感じた。「みんなが自分を見ている」ことが突然怖くなった。それまで人前で話すということが得意ではないにしろ怖いと感じたことはないし、本当に初めての感覚で冷や汗が噴き出した。自分の担当部分の発表を終えた直後にその場で意識を失ってひっくり返り(友人談)、救護室に担ぎ込まれた。少し休んだら体調も元に戻ったので、その日は午後の授業を休み帰宅した。

 わたしはもともとホルモン系にちょっとした疾患があり、当時はPMSの治療も受けていたのでこの時点では全然重く受け止めていなかった。とにかくお気楽人間なので、生理前だから体調も気持ちも不安定だったのかなあと適当に流したつもりだった。

 その後、どんどん体調も気持ちもおかしいなあと思うことが増えた。朝は起きられないし、夜は眠れない。大事な約束や提出物の期限を忘れる。悲しくもないのに涙が出てくる時がある。人と話すときに一言目が出てこない。食欲がない。そして何より、また人前で倒れるのではないかという不安がどんどん大きくなった。

 さすがにこれはまずいし何かがおかしいと思い、両親に相談したというのがわたしの主な症状と実体験です。こうやって書き連ねるといろいろあったなあとあらためて思うなあ。

 

 

 そしてこの後心療内科を受診するわけですが、ここからはわたしの中で重要だったなあと思うポイントとか印象的だった出来事をいくつか書いておきます。これが正解とは限らないし参考になるかは分かりませんが、いつかこの記事を見返すことも想定した備忘録としてまとめておきたいと思います。

 

①すぐに心療内科を受診した

 とにかく両親の行動が早かった。「少し話を聞いてほしいから夜電話するね」というわたしからのラインを読んで様子がおかしいと思ったらしい父が昼休みに電話をくれた。症状を説明すると「わかった。これからお母さんとそっちに行くから。」とだけ言い速攻電話を切って母親に連絡し、平日なのに二人で実家から車をすっとばしてわたしの家に来てくれた。

 具体的に症状を説明すると、父はまたもや「お医者さんに行ったほうがいいな。」と一言言ってその場ですぐ母とふたりで病院探しを開始。わたしはその日のうちに実家に連れ戻され、次の日には両親が予約した病院を受診していた。

 職業柄両親は若い世代のこういったつまづきへのある程度の知識と理解があったこと、父の周囲に子どもが心療内科や精神科に通院している・またはその経験があるという同僚が数人いたことなども功を奏し、ここが一番頼りになりそうだという病院を情報網を駆使して早々と見つけ、予約を取ってくれた。結果的にここの両親の行動が早かったことが、深刻化せず立ち直ることができたいちばん大きな理由だと思っているし、感謝してもしきれない。

 この程度で、とかすぐに病院のお世話になるべきじゃないという考えももちろんあると思うけれど、少なくともわたしの場合は受診するのが早くて救われたし、今でも間違っていなかったと思っている。

 

②医師・カウンセラーとの相性がよかった

 わたしが受診した心療内科は大きな総合病院の中にあった。初めて足を踏み入れた待合室は、当然ながら様々な人がおりなかなか独特の雰囲気だった。本を読んだり付き添いの人と楽しそうにおしゃべりをする人もいれば、落ち着きなく歩き回っている人や突然奇声を発する人もいた。当たり前のことだけれど、いろいろな症状の人がいるんだなあと実感したし、自分は周りからどんなふうに見られているんだろうと想像したりもした。

 診察室で医師に症状を説明したあと、いちばん驚いたのは、薬が処方されなかったこと。勝手な先入観で、自律神経を安定させる類いの薬が出されるのではと想像していたからびっくりしてしまった。話もちゃんとできるし、両親に相談するまで一人で生活できていたということは早急に薬物療法に踏み切る必要はなく、とりあえず体と心を休めてみようという判断だったらしい。一時的に今いる環境から離れて過ごしたほうがよいとのことだったので、大学は休学手続きをし、アルバイトは事情を話して休ませてもらうことになった。

 症状について話し終えたところで医師から、まずはカウンセリングで様子を見ましょうと説明された。すぐに同じ病院内に勤務しているカウンセラーに予約を取ってくれて、様々なテストを受けたりより具体的な症状について話を聞いてもらったりした。

 こちらの診断でも早急な薬物治療は必要ないと判断され、実家で休養しまた一週間後に診察を受けて今後の計画を立てていこうと言われ帰宅した。

 結局この後徐々に体調も気持ちも安定し、薬は一度も服用しなかった。カウンセラーとの相性もよく、初診の時のテストで見えてきた性格的な部分についても具体的な話を聞けたため、自分はこういうタイプの人間なんだなあという自己理解へつながりとても勉強になった。学校からもアルバイトからも離れた環境で生活し、定期的に医師の診察とカウンセリングを受けることでほぼ立ち直ることができたし、今のところフラッシュバックもほとんどない。結局数ヶ月の休学で大学に復学でき、アルバイトも再開した。今は通院もしていない。

 後から調べたり話を聞いたりしたところによると、病院によっては初診から薬を処方され、症状が悪化してしまうこともあるらしい。もちろん深刻な状態であれば迅速に薬物療法を取り入れ、症状を改善させる必要がある。しかし一方で、必要のない段階から薬を服用し副作用によって症状が悪化、その症状を緩和するためにより多量の薬を処方されたり様々な種類の薬を実験的に短いスパンで服用したりすることでより深刻化することもあると知った。少なくともわたしの場合は休養とカウンセリングで十分だということをちゃんと判断してすすめてくれた医師に感謝している。

 ちなみに最近この病院は新規の予約を取るのがかなり難しくなっているらしい。心療内科で診てもらいたいという人が増えているのもあるのかもしれないが、そもそも田舎は病院や医師の数自体がどんどん減っている。そういったタイミングも合わせて運がよかったのだなあと思っています。

 

③Hey!Say!JUMPに救われた話

 わたしの場合初診から症状が悪化することはなかったので、カウンセリングを受けるスパンは少しずつ長くなった。復学を決めた後、一つだけ不安だったのが久しぶりに大勢の人の中で生活するということだった。症状が出ることはほぼなくなっていたが、いざ元の生活に戻ってみたら「また倒れたらどうしよう」と不安になるような気がした。そのことをカウンセラーの先生に話したところ、「復学する前に一度、人がたくさんいるところに入るのを試してみる機会があればいいんだけどね。大学内を歩いてみるだけでもいいし。」というようなことを言われた。言われたとおりに大学内を歩いてみたりもしたが、なんとなく不安は拭えない。

 その頃、JUMPの東京ドーム公演が決まっていた。ジャニワあたりから周りの友だちがみんな他のグループに降りたり、おたくをやめたりしていたことに加え自分が体調を崩したこともあり、いい機会だしと当時はもうジャニヲタをやめる気まんまんだった。

 でもよくよく考えてみると、東京ドームでのコンサートって自分が行くことができる場所の中で一番人が集まる場所なのでは???というとんでもない考えに至ってしまった。段階を踏むという言葉を知らないわたしは速攻でコンサートに行くことを決めた。最初は当然両親にもカウンセラーさんにも大反対されたけれど、意地でも行くと言い張った。JUMPのコンサートなら絶対大丈夫だという謎の自信があった。今になってみると我ながらだいぶおかしいしある意味まともな精神状態ではなかったのではという気もするが、とにかく今はJUMPコンに行くしかないと思った。もう一度日常に戻るための自信が欲しくて、JUMPの力を借りたかった。

 勇気を出して行ったLiVE with me、めちゃくちゃよかったなあ。最初は久しぶりに見る大勢の人に緊張していたけれど、はじまってしまえばとにかく楽しかった。JUMPがいつもよりさらに頼もしく思えて、こんな気持ちまで受け止めさせられるアイドルって大変だなあと思ってちょっと申し訳なくなった。コンサートを楽しめる自分がうれしかったし、そう思わせてくれたJUMPに心の中でずっと感謝していた数時間だった。

 結局体調を崩すことはなく無事に帰還。最高の思い出と大きな自信を持ち帰り、その後は一人暮らしを再開した。勇気を持ってどうにかもう一歩踏み出したかったあの時、最後に背中を大きく押してくれたのはJUMPだったなあと思う。コンサートに行くのを諦めなくて本当によかったなあ。あのコンサートで勝手にもらった自信が、今もわたしを強く支えている。

 こうして無事ヲタ卒は先延ばしになり、結局今に至る。毎年口ばかりではヲタ卒を目標に掲げるものの全く実行する気はない。こうなってくるとおたくをいつやめるのか問題もあるけれども、あの時まだまだJUMPを見ていたいなあと思った気持ちが続く限りは応援していけたらいいなあと思う。

 

 

 

 

 というのがわたしの経験談です。

 はっきりした診断名がついていない時点でたいして重くはない症状だったのだと冷静になった今なら思えるけれど、医師の診察を受け判断をあおいだことに後悔はしていない。あの状態を放置していたらきっともっと悪化していたはずだし、取り返しのつかない状態になる前に救ってもらったと思っている。両親、お医者さんやカウンセラーさん、そしてJUMPにも感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 そして何より恵まれていたと思うのは、わたしの周りにはこういった症状やそれに伴う通院に理解がある人が多かったこと。家族、友達、大学の先生やバイト先の人たち、内心どう思っていたかは分からないけれど、わりとみんながわたしのことを支えてくれた。早い段階で立ち直れたのはこれも大きかったんだろうなあ。

 心療内科や精神科にかかっている、カウンセリングを受けているというだけで偏見の目で見てくる人は大勢いる。つい先週タクシーに乗った時に運転手さんと話をしていたら、どういう話題からかは忘れたけれども「最近の若い子は甘えてるからすぐ精神的につぶれる。家族が精神科に行ってるなんて自分だったら気が狂う」と言われたばかりだ。

   実際のところわたしは大学に長く通った理由について誰かに話すときには、体調不良とか家庭の事情とか学部内での専攻コース変更と説明している。全部本当のことなので嘘はついていない(休学後ずっと悩んでいたコース変更をしたので卒業までさらに長くかかりました)。隠したいわけではないんだけども、どうしても怯んでしまうところもあって、そういうところはまだまだ自分の弱さだよなあ。これは話す勇気をまだ持てない自分のせいです。

 でもまあ自分でいうのもなんだけれど、甘えていたとは思わない。まさか自分がこうなるとは想像もしていなかったし、本当に突然のことだったのでどうしていいかわからなかったし戸惑いしかなかった。ちょっとしたストレスや悩みの積み重ねが何かのきっかけで体調や気持ちに影響を及ぼしたところからずるずると悪化してしまうことだって多いような気がする。誰にでも起こりうることだからこそ、強い偏見を持った人が周りにいなかったことは本当に救いだったなあ。少しずつ理解も進んできてはいるんだろうけども。

 

 そしてわたしのようにほぼ治療は受けず少しの期間専門家に話を聞いてもらうだけで快方に向かう人もたくさんいるんじゃないかなあ。最初はためらうかもしれないけれど、おかしいなと思ったら思い切って心療内科や精神科を受診してみるのもいいかもしれない。自分を守るために、手段は選んでいられない。困ったときに誰かの力を借りることは恥ずかしいことでも後ろめたいことでもないと思います。

   とはいえやはり難しいと思うのは、完全に治すというよりは長い目で見て根気強く治療する必要がある場合も多いということ。適切な治療を受け、周囲が理解してサポートすることが本当に大切になってくる。誰もが自分にも周りにも十分起こりうる可能性があるし、決して他人事ではないと思う。

    わたしは今のところ、幸い以前と全く同じように生活できている。特に不安もない。そしてもしまた同じようにつまづいたとしても、立ち直りかたを知っているという自信もある。最初は本当にどうなることかと思ったけれど、今となってはいい経験だったのかもしれないなあと前向きにとらえています。

 

 

 

 

     先日休業を発表したふたりも、それぞれにとって最善の環境で治療を受け、一日でも早く復帰することができますようにと、切に願っています。